開湯1300年

氷室

氷室

氷室小屋

夏七月一日、金沢では「氷室の日」と呼ばれおります、藩政時代には旧六月朔日を「氷室の朔日」と呼んでおり、毎年冬の間(大寒の雪)に白山山系に降った雪を氷室に貯蔵し、六月朔日になるとこの雪を「白山氷」と名付け、桐の二重長持ちに入れて江戸の徳川将軍へ献上していた。
加賀藩の初期には白山山系の倉谷村の氷室の氷が使われていたが、五代藩主綱紀公の頃、金沢市近郊や市内に多くの氷室が設けられ、町民も氷を食する事が許された。しかし夏の氷は貴重品で、主に目上の人への贈答品などに使われ、庶民が食することは大変だったようであります。
それで氷の代わりに麦で作った「氷室饅頭」を食べて無病息災を願う習慣だけが現在でも残っております。

金沢では藩政期に多くの氷室が作られ、多くは昭和初期まで使われていたが、機械製氷が盛んになるにつれて氷室の氷は使われなくなり、昭和十七年?十八年頃には殆ど姿を見なくなった。かつての氷室は現在では氷室の跡は兼六園南端、山崎山の麓に大きな水溜の穴として認められるのみです。かつて湯涌でも氷室小屋が散在し飲食物の貯蔵と病人対策に利用されていました。
そこで昭和六十一年より湯涌温泉観光協会は、金沢市の協力を得て氷室の復元を努めてまいりました。以来、毎年一月の最終日曜に地元住民や金沢市民、観光客の皆様で雪を仕込んでいただき、踏み固められた氷は、六月末に氷室から切り出され、石川県知事、金沢市長、加賀藩下屋敷があった東京都板橋区、目黒区に贈呈されます。
復元された「氷室」は金沢において歴史的、文化的にも重要な物と考えております。

湯涌の氷室小屋は現在玉泉湖の湖畔にあり間口4m、奥行き6m、深さ2.5m茅葺きの屋根のある構造です。

スタートより四半世紀がすぎ、新たな気持ちでこれからも守り続けて行ければと思っております。金沢の石川の風物詩として残して行かなければならない伝統行事として全国発信を続けてまいります

 

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